徳島からBoa tarde

徳島ヴォルティス関連のこと。

ラバイン監督 徳島での日々について語る

ホームゲーム3連勝。ホームスタジアムがいい雰囲気になるのが嬉しい今日この頃ですが、久しぶりにラバイン監督の記事がスペイン現地紙に掲載されました。

 

www.noticiasdegipuzkoa.eus

 

今回はレアル・ソシエダの本拠、サンセバスティアンがあるバスク州ギプスコア県の現地紙のようです。バスクのニュースだけど、バスク語じゃなくてスペイン語ということで、ラバイン監督が就任する前に、「スペイン人監督が来たらいいな~」と思って少しずつ勉強していたスペイン語を使うチャンス。

 

少しでもラバイン監督の想いや人柄を知る日本人の方が増えたら!と思い、訳してみました。

それではどうぞ!

 

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ラ・リーガ最初の14試合で、レアル・ソシエダは26ポイントを稼いだ。最終的に獲得した71ポイントの3分の1以上のポイント数であるが、この時期が、チャンピオンズリーグ出場を成し遂げるにあたって重要な期間であった。そしてこのリーグ最初の期間に、ベニャート・ラバインはイマノル監督のテクニカルチームの分析官として、チームが成功するにあたってのひとつのピースとなっていた。その後、ワールドカップによる中断期間中に、日本からの誘いを受けて、彼はクラブを去ることになった。

 

―昨年の12月、シーズン途中でしたが、あなたはラ・レアルでの分析官としての仕事をやめ、徳島ヴォルティスJリーグ2部)の監督となりました。何が起こったんですか?

 

とてもスピーディで、予想していなかったことでした。ラ・レアルでは、分析官として働いていましたが、私はいつも自分自身のことを監督として適した人間だと思っていましたし、いつか実際に監督になりたいとここ数年間思っていました。物事は起こるべきタイミングに起こりますが、ワールドカップの中断期間中、まだ11月の頃に、日本の徳島ヴォルティスに来ないかというオファーがありました。監督への扉が開くのなら、理想は別のタイミングでしたが、その時に扉は開き、私は決断をしなければなりませんでした。

 

―監督になるということを決断することは難しかったですか?

 

かなり考えましたよ。難しい決断でしたが、その時にロベルト・オラベとイマノル・アルグアシルがサポートしてくれたことには感謝しています。二人が納得してくれたら、私はラ・レアルを去ろうと思っていましたが、彼らは私のことを理解してくれました。私のことをわかってくれて、このチャンスを逃すなと励ましてくれました。もちろん、人生の友と呼べる人たちがいる、本当に素晴らしいチームを去ることはさみしかったですよ。

 

―ラ・レアルでの仕事は、監督という仕事をするにあたって役立だったのではないかと思いますが。

 

間違いなく役立っています。ラ・レアルでの分析官としてのステップは、過程の中の一部です。あるタイミングで、監督となるチャンスは必ずやってくるということはわかっていたので、すぐにでもベンチの中で監督としての仕事がしたい、とあせることはありませんでした。学ぶことや自分自身を鍛えることに集中していました。あのラ・レアルでの5年間がなければ監督にはなれなかったでしょうし、今私が仕事をしている場所にもいないだろうと思います。私にすべてを教えてくれたイマノルを含め、この分野で世界のトップといえる人たちと私は何シーズンも一緒に過ごすことができたのです。

 

徳島ヴォルティスの話の前には、別のように物事が進む可能性もあったのですか?

 

ええ、いくつか別の選択肢も私のところに来ていました。しかし過程というものはしっかりとしたものでないといけません。徳島ヴォルティスには、私が求めていたすべてのものがあると思っています。日本では、計画やプロジェクトというものが大切にされていて、監督にも、計画を進めていくための時間が与えられます。また、日本の一般的な選手たちのタイプも、私がしたいと思うことを形にしていくにあたってぴったりだと思っています。

 

―あなたの家族が日本で暮らしているということも重要なプラスの要素ですよね。

 

家族はなくてはならないものです。一緒に来てくれたので、私は幸運だなと思っています。私の妻は仕事をやめて、私と1歳半の娘と一緒に日本で過ごしています。監督という仕事は多くの時間、彼女たちを二人だけにしてしまうものですが、私にとっては、彼女たちが幸せでいてくれることが一番で、一緒にいてくれることが本当に力になっています。私たちは、穏やかで素晴らしいこの国で暮らすことができて、幸せだと感じています。

 

―あなたはどんなチームに入ったのですか?徳島ヴォルティスについて教えてください。

 

ラ・レアルと価値観が非常に似ているクラブで、ラ・レアルとは最近提携を結びました。徳島は育成組織を非常に大切にしていますし、監督には時間を与えてくれます。これらは一般的に日本のクラブの特徴といえることですが、徳島は特にこの特徴がはっきりしているクラブです。

 

―非常に多くの選手がクラブにいるのですよね。

 

ええ、36人の選手がいますが、日本では普通のことです。セカンドチームがないですし、リーグ戦も一つのディビジョンに22チームが所属している、厳しいリーグです。日本の2部のレベルは、とても高いです。特に技術的なレベルが高く、ペナルティエリア内でのプレーも素晴らしいですが、攻撃でも守備でも、エリア内でのずる賢さが不足していて、多くのブラジル人選手が助っ人としてプレーしています。

 

―非常に魅力的なリーグのようですね。

 

非常に論理的で、よく組織されていているリーグです。いくつかルールを守らなければならないというところはありますが。例えば試合の前に散水をしないといけない、といったようなものです。義務ではなくて、今度の試合(先週の土曜日、岡山での試合)についてちょうど話していたところなのですが、岡山では散水は行われない予定です。総じて非常に魅力的なリーグで、テレビでの放送や、マスメディアも素晴らしいですし、雰囲気も良いです。アウェイで15,000人、16,000人のお客さんが入った中で試合をしましたし、私たちのスタジアムでも、13,000人が入った試合がありました。

 

―サッカー面ではどうでしょうか。リーグの各クラブはどのように戦うのでしょうか。

 

それがこのリーグのまた別の良い部分でもあります。というのも、様々なスタイルのクラブがあるのです。ダイレクトプレーを好んで、ロングボールを蹴ってくるチームとも試合をしましたし、選手間のコンビネーションを活かしたサッカーをしてくるチームもいます。ペナルティエリアの外、数メートルのところまでゴールキーパーを出して、サリーダ・デ・バロン(ビルドアップ)していたりします。このリーグのことを紹介するなら、非常に素晴らしいリーグだといえますね。

 

―あなたのクラブは昇格するということを目指していますが、シーズン最初は少し心配されるような戦いぶりでした。

 

私は私の考えをもって、日本に来ました。それは間違いないことですが、人生やサッカーについて考えるとき、常に過程というものが必要になります。12月に新しい国に到着し、新しい文化に触れました。そしてプロフェッショナルとして、また家族としてもこの場所で落ち着くのに時間がかかりました。もし時間を巻き戻せるなら、違った方法でするだろうなと思うことがいくつもありますが、そのように思うのは当たり前だと思いますし、だんだんと日本や日本人選手について理解が深まってくるにつれて、足元がどんどん固まってきているなという感覚があります。

 

―日本の選手についてはどのように感じていますか。

 

ヨーロッパとは全く違いますね。日本では選手たちは非常に規律正しいです。それは良いことなのですが、ある意味では良いということです。というのも極端になりやすいというところがあるのです。私はそれを理解しなければなりませんでしたし、その環境を受け入れないといけませんでした。そのため多くのことを変えてきました。選手との関係性やコーチ陣との関係性について、毎日毎日様々な形で変えてきました。監督というのは、チームの状況についての責任者ですから、私は多くのことをする必要があったのです。

 

―シーズンのターニングポイントは、システムを変えたということではないかと思います。

 

直近9試合で、私たちはディフェンスが5人、中盤が3人、ウイングが2人というシステムを採用しましたが、安定して戦うことができ、良い結果もついてきました。このクラブがこれまで常に大切にしてきた特徴は、ポゼッションとパスによって試合を支配することでした。私はそれを最初から受け入れていましたが、同時に予測不可能である部分に対してどのように対処するか、というところにも取り組み始めました。試合を支配するということに加えて、また別の部分にも対応できるようにし始めたということです。最も強力なプレーというのは、状況を正確に判断するということなのです。すなわち、どのような場面でパスをつなぐのか、またどのような場面でスペースを目指したプレーをするのかということを判断するということです。

 

―すべてをいちから変えていくということは大変なことですよね。

 

ええ、ここまで大変でしたし、最初の日から逆風が吹いている状態でした。リーグ初戦はホームで、アディショナルタイムにゴールを決められて負けたのです。常に必要な冷静さというものも欠いた状態で、変化が進んでいくと、だんだんとネガティブな方向へ引き込まれて進んでいくことになります。幸い、今はもうその状態から脱していますよ。

 

―昇格候補と呼ばれながら、降格圏に沈んでいる時期がありました。順位表を見て悩むことはありましたか。

 

全く無かったです。クラブには目標がもちろんありますが、チームが成長するための日々のトレーニング以外のことを考えることは全くありませんでした。順位表は見ずに、試合に勝利するにふさわしい編成となるようにすることだけを考えています。

 

―それでも、監督という仕事をしていてかなりのプレッシャーを感じるのではないかと思います。ラ・レアルでの時よりも表に立つことが多い仕事ですよね。

 

ええ、例えばイマノルを見ながら、ベンチにいるということはどのようなことかを近くで感じてきて、感情的にどのような状態になるかを想像してきましたが、実際に体験するまでは本当の意味で理解することはできません。私は、監督という仕事によるプレッシャーから、挑戦しているときと同じ感情を抱いていて、とてもうまくコントロールできていると自分では感じています。リーグ序盤に悪い流れが続いていたときも、楽しんでいました。そんな時にアイトール・マイステギ(徳島で一緒に働く、サルディバル出身のフィジカルコーチ)が言った言葉を覚えています。「今、負けている状態でもこんなに僕たちは楽しんでいられるんだから、もし勝ったらどんなことを感じるんだろう」。この仕事をするうえで頭に入れておかないといけないことは、起きたことは受け入れるしかなく、常に前を見て進んでいかないといけない、ということです。

 

 ―徳島ヴォルティスは、監督としての責任を果たしていくうえでの十分なサポートをしてくれているのでしょうか。

 

ええ、徳島の人たちは本当に良くしてくれています。挨拶するためにわざわざやってきてくれたり、車から降りてきたりしてくれるサポーターもいます。また、女性のサッカーファンが非常にたくさんいることにも驚きました。バスクラ・リーガ、ヨーロッパでも増えてきてはいますが、徳島ではより歓迎されているように感じます。ああ!それから、この前のホームゲームのときには、スタンドの中にバスク州の旗を見つけましたよ。

 

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本人も徐々に手ごたえを感じてきている様子ですね。嬉しいです。

仕事があるのでポカスタでちゃんと試合を見るということがなかなかできず、DAZN観戦が多いですが・・・またスタジアムのスタンドに行って、勝った時の喜びをみんなで味わいたい。

今週末の山形戦も、仕事しながら念を送って応援します。

 

それではまた!

ラバイン監督 2011年に語った夢

先日ラバイン監督のインタビューを訳したところ、徳島ヴォルティスファンの皆さんを中心に、読んでいただくことができました。


バスク語やっててよかった~と思ったわけですが、また別のラバイン監督インタビューを見つけました。

 

goiena.eus

 

2011年5月、彼が23歳の時の、バスクの地元紙「ゴイエナ」のインタビュー記事です。
スペインサッカー連盟で分析官としての仕事を終えた頃の彼は、どんなことを話していたのでしょうか。
せっかくなので今回も訳してみます。どうぞ。

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ベニャート・ラバイン「私の夢はエリートレベルでタイトルを獲得すること」

 

ベルガラ出身のベニャート・ラバインが荷物をまとめてサッカーのコーチになるためにマドリードへ出発してから6年が経った。その間、彼はスポーツに関する世界で2つのキャリアと2つのタイトルを獲得し、いくつかのサッカーチームでコーチとして働いてきた。

 

―なぜマドリードに引っ越したのですか。


17歳でマドリードに来ました。サッカーという夢があったためです。ここにはスペインサッカー連盟と協定を結ぶカミロ・ホセ・セラ大学がありますが、この大学はスポーツ科学および身体運動科学(INEF)を研究していたと同時にナショナルコーチの資格を得るための機会を与えてくれていました。それがマドリードに来た理由でした。

 

―そこでは何を勉強したのですか。


ここでまずINEFの学位、その後に体育教師の勉強をしました。さらに、国内の監督資格レベル3、すなわちスペインサッカー連盟で最も高いレベルのスポーツコーチになるための資格を取得しました。

 

―いつサッカーの監督になると決めたのですか?


小さい頃から、監督になりたいという情熱を持っていました。12歳のとき、私の兄弟がアランザディの学校のサッカーチームでプレイしていましたが、私はすでにベンチに座っていました。いつも監督になることが私の夢でした。ベルガラのサッカーチームで育成年代までプレーしていましたが、選手だった時も、いつもサッカーを理解することや物事の理由を理解することなどは、私がしなければならなかったことでした。実は、芝の上でプレイすることよりも監督になることの方が私にとってはいつでも魅力的なものだったんです。

 

―あなたはアトレティコ・マドリーカンテラのアレビンの監督、そしてフベニールのAチームのアシスタントコーチとして過ごしてきました。さらにフベニールの国内リーグでCP・パルラ・エスクエラの監督も務めました。それらの経験の中で、最もあなた自身が満足できるものは何ですか?そしてそれはなぜですか?


アトレティコ・マドリーカンテラで2年間働き、アレビンとインファンティルを担当しました。最初の年はヘタフェに勝ち優勝しましたが、実は、これまでで最も学ぶことが少なかった年でした。その後パルラ・エスクエラで働くチャンスがあり、9試合して4ポイントしかとれずクビになったのですが、それが最も学ぶことがあった経験でした。去年の3月にホセ・マリ・アモロルトゥから電話がかかってきて、フベニールのトップチームのコーチのオファーをもらいました。承諾して、そこでフラン・アルコイと一緒に働きました。アルコイは何年もカルタヘナの人々とプロの世界で何年も働いてきた人で、私にたくさんのことを教えてくれた人でした。素晴らしい経験をしました。

 

リバプールでラファ・ベニテスと一緒に過ごしたこともありました。そこでの経験はどうだったか、少し教えてください。


素晴らしかったです。共に学んでいた友達と一緒に2008年のプレシーズンにラファ・ベニテスがどのように仕事をしているのかを学びに行きました。ほぼ毎日メルウッドに練習を見に行きました。フィットネスコーチだったパコ・デ・ミゲルやトップチームの選手たちと一緒にランチもとりましたよ。ラファ・ベニテスもたまに立ち寄ってくれました。アンフィールドにも行って、親善試合やチャンピオンズリーグの予選の試合を見る機会もありました。あの夏は忘れられないです。

 

(メルウッド=Melwoodは、2020年までプレミアリーグリバプールがトレーニングの拠点として利用してきた施設の名前です)

 

―どうしてあなたたちはリバプールのチームの中にまで入っていくことができたのですか?


水曜日にリバプールに着いて、翌日の朝にメルウッドに行ったら、警備員に会いました。私たちが「ベニテスと話したいんです」と言うと、彼は「ダメだ。君たちは馬鹿だな」と言われました。金曜日の朝にもう一度行きましたが、その時はハムを持っていきました。同じ警備員に渡すと、「ベニテスと話ができるようにするからまた明日来い」と言われました。土曜日に3日間連続でリバプールの練習場に行くと、警備員が良いニュースを教えてくれました。「月曜日の朝8時に来い」と教えてくれたので、私たちはその通りにしました。ベニテスに自分たちは誰か、どこから来たか、何がしたいかを説明すると、彼は、メルウッドに優しく迎え入れてくれました。こうしてその翌月をコーチングスタッフたちや選手たちと一緒に過ごすことになったのです。

 

―最近までスペインサッカー連盟の分析チームで働いていましたが、やめる決断をしました。それはなぜでしょう。


やめる決断は簡単ではありませんでした。協会に入りフェルナンド・イエロと一緒に働きましたが、最初には想像することができなかったほど素晴らしい経験をすることができました。しかし人生はいくつかの場面で決断を下さなければならないものです。要するに、連盟内に私に直接影響を与える問題があり、それによって最終的には私はやめる決断をしたのです。しかし、監督、スポーツディレクター、分析チーム、フィジカルコーチ、ドクターなど、連盟で一緒に働いたすべての人に感謝をしたいと思っています。

 

―どんな夢を持っていますか。


私の夢はエリートレベルでタイトルを獲得することです。そのために仕事をしています。誰もが、自分の限界を超えたところに目標を設定して、そこからその目標を達成するために懸命に努力しなければならない、と私は考えています。夢のガイドであるのは、心でなくてはなりません。頭ではいけないのです。なぜなら結局、頭はいつも私たちに限界を設定してしまうからです。私はリアリストにはなりたくありません。より遠くへ行きたいと思う人間なのです。私はそんな風に夢を持っていて、いつか叶えたいと思っています。

 

―参考にしている監督は誰ですか。そしてそれはなぜですか。


これまで特定の人が私のアイドルになったことは、選手についても監督についてもありません。しかし、マヌエル・ペジェグリーニビジャレアルはプレースタイルが好きでした。また、ジョゼ・モウリーニョのチームも、ボールを失ったときやボールを取り返そうとするときに見せていた姿勢が好きでした。

 

―あなたの通常の1日の流れを教えてください。


この前までは、朝に起きたらラス・ロサスにあるスペインサッカー連盟のスポーツ施設に行っていました。昼までそこにいてビデオを見たりレポートを作ったりして過ごしていました。その後は家に戻って、昼食をとって、ビデオを編集したり、コンピュータで会議を見たりしていました。午後は地域の友達と集まって、夕食のために家に帰るまでスポーツをしていました。夜はベルガラの友達と話したり、本を読んだりしていました。今は、連盟に所属しておらず、どのチームも指導していないので、1日1日違いますし、毎日繰り返す具体的な流れのようなものはありません。

 

―週末はどんなことをしているのですか。


週末は、主にサッカーの試合を見ています。アトレティコ・マドリーの練習場が家の近くにあって、長い時間そこで過ごしています。それから、私の年齢の人がするように、友達と出かけて、スポーツなどいろいろなことをするときもありますよ。

 

―ベルガラでどんなことが起きていることは知っていますか。


もちろんです。毎日インターネットの記事を読んでいますし、ほぼ毎日両親や友達と話していますからね。

 

―今はどんなプロジェクトに参加しているのですか。


今はとにかく来年に向けて準備をしています。ミリンコ・パンティッチがアトレティコ・マドリーの財団と一緒に実施しているキャンプで指導をしています。

 

―コーチになることを夢見る人たちに伝えたいことはありますか。


正直なところ、私は、アドバイスを与えられるような人間ではないと思います。ただ、私の経験をもとにするなら、天職に就いて、この世界を好きになってほしいと伝えたいです。そして特に、夢を持つこと、なぜならそれは目標を達成するための最初の一歩だからです。その後は楽しんで、何事にも情熱を持ってほしいと伝えたいです。

 

―その他に話したいことはありますか。


私の両親に感謝の気持ちを伝えたいです。私にとってとても大切な人たちでしたし、彼らから受けたサポートが土台となり、私は生きてくることができました。それから、私の友人たちにも常にサポートしてくれたことに感謝したいです。特にミケル・オルベゴソとイニャキ・ムヒカには非常に感謝しています。最後に、私を指導してくれたすべての先生たち、私が指導した選手たち、そして一緒に仕事をしたコーチたちに感謝を伝えたいです。

 

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インタビューは以上です。

 

途中で出てきた、「夢のガイドは心でなくてはならない。頭ではダメ」という話が心に残りました。
頭でいろいろ考えすぎて、小さくまとまってしまうのではなく、自分がどうしたいか、という心を大切にして、思い切ったことをすることが大事だということでしょう。彼が新体制発表会で語った、「REBELDES(反逆者であれ)」に通ずる話なのかもしれません。

 

さて、このインタビューの最後に、おまけとして「~といえば?」のような一問一答があったので載せておきます。

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本→最後の授業(ランディ・パウシュ
映画→グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち
音楽グループ→3ドアーズ・ダウン
好きな場所→ノハのホエルビーチ
住んでいる場所→マハダオンダ(マドリード
サッカー選手→ジネディーヌ・ジダン
サッカースタジアム→サンティアゴ・ベルナベウ
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「最後の授業」という本は、少し調べたところなかなか熱い内容が書かれているようで、読んでみたいと思いました。彼の大切にしている価値観がより深くわかるかもしれません。


2月19日に迎える徳島ヴォルティス開幕戦。おそらく23歳時点では全く想像していなかった場所で、彼の監督人生が始まります。
自分の夢に向かって努力を積み重ねてきた青年は、どんな姿を見せてくれるのでしょうか。

ラバイン監督 バスク現地紙インタビュー

goiena.eus

 

ヴォルティスのラバイン新監督。ついにバスク現地紙に、彼のインタビュー記事が掲載されました。

彼が監督になってから、彼へのインタビューが現地で初めてしっかりとした記事になったのではないかと思います。

 

徳島を応援する者の一人として、彼のことを深く知りたいという思いでバスク語の勉強をしてきました。就任のリリースから始めて約1か月半勉強してきたわけですが、この勉強は誰かのために使ってなんぼ、ということで、上の記事を訳してみました。

訳し方がどうしてもよくわからない、というところもあり、完璧ではないと思いますが、誰かの役に立てばと思い、投稿します。

それではどうぞ!

 

 

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ベニャート・ラバイン「徳島はイマノルのラ・レアルから多くのものを得るだろう」

 

レアル・ソシエダの分析官として4年間働いた後、ベルガラ出身の男は日本に到着した。2部で戦う徳島の監督には、昇格するというミッションが与えられた。

 

(注:ベルガラというのは、ソシエダの本拠地があるサン・セバスティアンが位置するギプスコア県の基礎自治体の一つです

 

ベニャート・ラバイン(ベルガラ出身、1987年生まれ)は、変わったクリスマスを過ごした。自分の地元のクラブでゆっくり過ごし、これまでのようにラ・レアルでの仕事を楽しむ代わりに、地球の反対側へと移動して、日本のJ2リーグで戦う徳島ヴォルティスと契約を結び、そこで働く準備を進めていたのだ。ベルガラ出身の男はアジアから彼に届いたオファーにNOと言えず、シーズン前の準備に没頭し、チームと一緒にいる中で、ゴイエナから電話を受けた。彼は日本で暮らすことは気に入っているが、監督という仕事と分析官という仕事は違うものである。「私が責任を持っている人々がたくさんいて、そのプレッシャーを感じています」

 

(注:ゴイエナというのは、この記事を掲載した現地紙の名前です。これからも、ラバイン監督や徳島の記事を出してほしいな・・・

 

ーここ数シーズン、あなたはラ・レアルの分析官でした。アシエル・ガリターノとも働きましたし、その次はイマノル・アルグアシルとも一緒でした。地元のクラブで働く中で、史上最高の成績を収めています。それでも、あなたは日本に行くことを決めました。最近ではコンフォートゾーンを抜けるといわれているような行動ですね。

 

そうかもしれないですね。ただ、自分には監督になりたいという思いがあることははっきりしています。日本は、私にとって素晴らしい選択肢で、イマノルがオファーを受けるよう勧めてくれたことも決定的な要因でした。私たち2人はよく、このテーマについて話し合って来ました。彼は私の夢が監督になることだということを理解してくれていましたし、イマノルやオラベが受け入れてくれたことは、私がここに来ることを決めるにあたり非常に重要なことでした。もし彼らがこの決断についてあたたかく受け入れてくれていなかったら、私はここには来ていなかったでしょう。

 

(注:アシエル・ガリターノは、ソシエダの元監督、イマノ・アルグアシルは、現ソシエダ監督ですね。オラベというのは、ソシエダのスポーツディレクターのロベルト・オラベさんのことです。ざっくり言ったらこの人がソシエダをどのように強化していくか決めているわけですね。ソシエダの分析責任者だったラバインさんをよくぞ徳島に送り込んでくれたって感じです。

 

ー最初の数週間はどうですか。

 

素晴らしいです。2月18日にリーグ戦がスタートします。相手は大分です。日本ではカレンダーイヤーに沿って試合が行われるため、2つの季節をチームと過ごすことになります。徳島のことを理解するための時間はありません。夏まで中断することがないのです。そのため、クリスマスまでベルガラに戻らないでしょう。

 

ー日本についてはどのように感じていますか?また、徳島というクラブはどうですか?

 

日本は暮らすのに素晴らしい場所で、気に入っていますよ。先ほどお話しした通り、この数週間で2回徳島に滞在しましたが、シーズン前の準備で忙しかったため、徳島に長くいることはできず、街のことを理解する時間はとれませんでした。一方でクラブには、いい意味で驚かされました。良い仕事をするために必要な全てのリソースや、素晴らしい設備があり、優れたグループが働いています。コミュニケーションの面も配慮をしてくれています。徳島は、トップクラスのクラブの構造を備えていると思います。

 

ーより大きな意味で、家族にとって、という意味も含めてではどうですか。

 

間違いなく、その意味では私は非常に幸運です。私の妻はマドリードで働いていましたが、私と一緒に日本に来るためにその素晴らしい仕事をやめました。娘は1歳ですが、私が家族なしで来るのと、家族のサポートがある中で来るのとでは全く異なります。その意味で、彼らは非常に努力してくれましたし、彼らが幸せでいるようにすることが大事です。間違いなく、この点が最も大事なことです。なぜなら、もし監督として働くことを気に入っていたとしても、家に帰って家族が元気でなければ、自分自身の元気もなくなってしまいますからね。

 

ークラブでは、あなたの近くに素晴らしい人々がいますよね。

 

そうですね、このように働くときは、信頼できる人々がそばにいることがとても大事です。サルディバルにいたアイトール・マイステギがフィジカルコーチとして私と一緒に来てくれました(マイステギはアラサーテに家族あり)。マドリードで私たちは一緒に学び、常にコンタクトをとってきました。そしてシシもチームのアシスタントコーチとしています(シシーニョ・ゴンザレス・アルバセテ 1986年生まれ)。シシは5年間日本でサッカー選手としてプレーしており、日本語をマスターしています。

 

(注:アラサーテは、先ほどのラバインさんのベルガラと同様、ギプスコア県の基礎自治体です

 

ークラブの首脳陣は、あなたに何を求めているのでしょうか。

 

リーグの昇格をすることを、徳島という若いクラブは望んでいます。クラブは以前は、日本のより高いレベルのリーグにいました(J1リーグと呼ばれるリーグ)。このクラブは2回の昇格を経験しています。最後に昇格したのはリカルド・ロドリゲスが監督だった2020年ですが、残念なことに翌シーズンに降格してしまい、一部に戻ろうとしているところです。何はともあれ、穏やかなクラブだと感じています。つまり、穏やかに、リラックスして仕事ができるということです。このクラブには、とてもたくさんのラ・レアルに似たところがあります。選手たちの年齢が若いチームであること、昨年のチームの主力が残っていることなどです。さらに、最近締結されたラ・レアルとの契約のおかげで、これから3年間、ラ・レアルのコーチたちが、スビエタの方法論を伝えにここにやってくることになっています。

 

ークラブは素晴らしいプレゼンテーションをしましたよね(Youtubeで視聴可能)。そこであなたは目標は昇格することだと言いましたが、頻繁にそのことについて話したいわけではないということも語りました。

 

なぜなら意味がないからです。つまり、チームの主要な目的が何かを知ることは良いことですが、それについていつも話すことはできないからです。私たちがコントロールできるのは日々のトレーニングで、そこに力を入れる必要があるのです。

 

ーこのイベントの中で、あなたは選手たちに対して、勇敢であってほしいということと、あなたが伝えたことについて違う考え方を持った時は恐れず教えてほしいと伝えました。

 

その通りです。日本人は勤勉ですが、文化的に、従順であるという特徴を持っています。選手たちは私たちの考え方を非常に早く理解してくれますが、私がピッチ上で要求することは、勇敢であり自分自身の個性を持つことなのです。

 

ー日本のサッカーについてはどのように考えていますか?

 

技術的には、このリーグには素晴らしい選手が非常にたくさんいます。素晴らしく組織化されたクラブがあり、分析にも力を入れています。プレー面については、組織化されており、それぞれのチームが様々な特徴をもっています。また、多くのブラジル人選手がプレーしています。

 

ー(徳島は)昇格することができるレベルのチームですか。強いチームなのでしょうか。

 

チームにはとても満足しています。37人選手がいますが、私が選べる選手はそれがすべてです。カンテラのチームはありません。すべての選手がトップチームに所属しますが、ケガする選手が出ることに備え、各チームに30人以上の選手が所属することが一般的なのです。技術的に素晴らしい選手たちがいますし、新しい選手との契約でチームが強化されていきます。また、その新しい選手の契約については私も関わることができます。とても幸せなことですよ・・・。

 

ーラ・レアルでの分析の仕事と、徳島での集団をまとめるという仕事では異なる点があります。試合の結果に応じて、ファンやメディアからの注目を受けるという点です。分析官にはない部分です。

 

全く違う部分ですね。ラ・レアルでは分析官としてすべき仕事がたくさんありましたが、かなり穏やかに過ごしていて、プレッシャーを背後に感じることはありませんでした。今はプレッシャーがあります。私自身に目が向けられていて、そのプレッシャーを感じています。試合や対戦相手の分析をするだけでなく、チーム全体を動かし、メディア対応もする必要があります。今はしなければならないことがたくさんあり、私が責任を持っている人々がたくさんいます。非常に大きな責任を持つことになり、そのプレッシャーは感じています。

 

ーでも、「好きなところに坂道はない」ですよね。

 

(注:インタビュアーの方のこの質問、訳が難しいところです。直訳だと上のような感じなので、おそらくバスクのことわざか何かで、「好きなことなら大変でも乗り越えられる」みたいな意味かな、と解釈しました・・・。バスク語わかる方、教えてください・・・。原文は、gustuko tokian aldaparik ezです)

 

私が好きな言葉ですね。若い時はベルガラでサッカーをプレーし、若いカンテラのチームで監督を務め、その後はマドリードで勉強してアトレティコ・マドリーレアル・マドリー、スペインサッカー連盟、リーズで仕事をしました。いろいろなところに行きながら、監督になるための訓練をしてきました。そうして、監督とはどのようなものかを学ぶために、イマノルと時間を過ごしました。

 

ー徳島はイマノルのラ・レアルからどれくらいのことを得るでしょうか。

 

おそらく、たくさんのことを得ると思います。私は結局4年間ラ・レアルにいました。最初から、イマノルと私はとても良い感触を得ていましたし、サッカーについてたくさん話しをし、非常に多くの考え方を共有しました。サッカーについてのアイデアや、ラ・レアルが試合で見せるプレーが私の中に深く根付いています。もちろん、私自身の考え方というのも持っていますが、イマノルと過ごした数年で受け取ったものは私のノートに写してありますよ。

 

ー数年前アノエタでは陸上トラックの撤去の必要性がうたわれましたが、徳島のスタジアム(ポカリスエットスタジアム)には陸上トラックがあります。

 

そう、その通りです。日本のスタジアムの多くには陸上トラックがあります。しかし、試合の時のホームスタジアムの雰囲気は非常に素晴らしいと聞いています。パンデミッックの前は9,000人が試合を見に来ていましたが、コロナウイルスによって、平均入場者数は5,000人に減少しました。昔の数字まで戻したいところですが、日本ではパンデミックの状況がまだ続くようです。一方で、クラブは新しく、柿谷曜一朗選手と契約を結びました。日本ではよく知られた選手で、ファンたちの期待は高まっています。

 

ーあなたの兄弟のイボンは今ログロニェスでコーチをしています。家族が皆サッカーファンなのですか。

 

(注:ログロニェスはLogroñésで、バスク州の隣のラ・リオハ州ログローニョが本拠地のチームです。3部相当のプリメーラ・ディヴィシオンRFEFに所属しているチームです

 

そうですね、面白いですよ。3人兄弟で、2人は監督をしています。イボンは技術者の勉強を始めたのですが、その勉強はやめて監督の勉強をするためにマドリードに来ました。私もマドリードにいたのですが、それぞれ違う道を進みました。彼はインドや中国にいったり、アトレティコ・マドリーでチョロ・シメオネのもとで分析官として働きもしました。そして今はログロニェスにいます。

 

ー有名だった選手の方が、トップレベルの監督になることが簡単なのでしょうか。

 

わかりませんね・・・。今の時代は、監督になるには素晴らしい訓練を積まないといけないと思います。有名だった選手の方が監督になることはもしかすると簡単かもしれませんが、そのあとに、一緒に働くメンバーから監督に値しないと思われるのではないでしょうか。監督に値しないということはすぐに気づくことです。

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以上、ラバイン監督のインタビューでした。

 

一番最後の質問が結構唐突に来たのでなんでかなと思っていたのですが、実は違う媒体が兄弟のイボンさんにも同じテーマでインタビューをしていたようで、それにかけた質問なのかな、と思いました。

イボンさんは「もし元プロの選手でなかったら、監督になるのはより難しくなる」と話しているようです。

 

徳島について、いい印象を持ってくれていることがわかる記事でした。

自分自身の地元の現地紙に語っているわけですから、本音を語っていると思います。

 

分析官から監督になることについては、少なからずプレッシャーを感じているようですね。

全く知らない土地で、新しい仕事に挑戦するラバイン監督。

監督人生をスタートする場所を徳島に選んでくれたこと、徳島に住むひとりとして本当にうれしく思います。改めて、彼に素晴らしい体験をしてもらいたいなと思いました。

監督人生のスタートが徳島でよかったと思ってもらえるように、徳島を応援する皆で、彼やチームに力を与えられることをしていければと思います。

 

新体制発表会のプレゼンの中で監督が語っていたことが心に残っています。

「週ごとの試合のために最高の自分たちを常に目指す。仮に負けたときにどう在れるか?その時に私たちの「理由」が、私たちが進むべき道を明確にし、勝とうが負けようが言い訳は一切なしに、逆境と敗北の中でこそ常に全員が団結するように」

 

長いシーズン、良い時ばかりではないと思います。例えばもしかすると開幕すぐは、うまくいかないかもしれない。

そんなときでも、徳島ヴォルティスにかかわるすべての人が団結しようとしている姿を監督に見せることができれば、彼は「徳島に来てよかった」と思えるのではないでしょうか。

 

2/19、新生ヴォルティスの開幕が楽しみです!

渡井選手、開幕前ラストマッチ。現地記事の評価

 

ポルトガルのメディア、zerozeroがボアヴィスタプレシーズンマッチのリポートを挙げていたので、内容をまとめようと思います。

 

まずは結果から。ボリビアリーグのチャンピオン、クラブボリバルプレシーズンマッチを行いましたが、結果は3-3、PK6-7でボアヴィスタは敗れています。

 

そんな中、渡井選手の評価は・・・

「マサキ・ワタイ:意欲はあったものの、この日本人選手は今夜はあまりハッピーではない結果となった。右サイドの最前線でプレーし、高い位置からプレスをかけたり、中央にいる選手のパスコースを作る動きをしようとしていた。素晴らしいシュートを見せることはできなかった」

 

なるほど、右サイドで出場していたようですが、結果はうーんという感じだったようです。

記事には黄色いユニフォームを着た写真が掲載されているため、どうやら後半からの出場のようです。

 

動画はないか・・・と探していたところ、ちょっとだけ映っている動画を発見。

 


www.youtube.com

 

ハイライト動画の中で、ボアヴィスタ3点目のシーンが出てきます(8秒目あたり~)。

その中に渡井選手らしき姿がいるような・・・

ゴールが決まった後、ゴールした選手にゆっくり駆け寄っている選手が渡井選手ではないでしょうか・・・

 

こんな切り抜きじゃなくて、フルタイムの動画でじっくりプレーする姿が見たい!

黄色いユニを着ている姿、新鮮ですね。いつかのバルサのアウェイユニに似ているような・・・。

 

ちなみに、チームは前半で2-0,48分に追加点を決めて3-0としましたが、相手のボリビア人、ブルーノ・ミランダ選手のハットトリックで追いつかれ3-3、PK戦で敗れるという結果となっており、ボリビアメディアは、「ポルトガル1部リーグクラブに勝利した!」と結構盛り上がっているようでした。

しかも相手の最後の3点目のシュートが試合ラストのシュートで、かなりすごいゴールだったので、相手チームにとっては余計に盛り上がる内容となりました・・・。

 

ボアヴィスタとしては、これがリーグ開幕戦のポルティモネンセ戦前の最後のテストマッチだったわけですが、後半は、かなりメンバーを入れ替えていて、あまり良い内容ではなかったようです。

まあ、まだプレシーズンですしね、これからこれから。とりあえず、開幕戦、楽しみにしましょう!

渡井選手も、プレーをしているということがわかりホッとしました。

ポヤトス監督が「渡井選手、ポルトガル挑戦」について思うこと

 

最近渡井選手どうしているかな・・・と思っていた時に突如現れたヴォルティスファン垂涎の記事。ポヤトス監督と渡井選手の写真が載っていて、「Barcelona」という文字も見える・・・これはなんだ?気になる!ということで久しぶりに訳してみようと思います。

 

※基本的に「監督がこのように渡井選手について話している」という記事なので、ポヤトス監督の発言部分を抜粋して紹介します。

監督はどんなふうに渡井選手や彼の挑戦について考えているのかわかるようになっています。それではいってみましょう。

 

バルセロナという夢の扉を開くためのボアヴィスタ

かっこいいタイトルですね。どうやら、バルセロナに渡井選手は憧れを抱いていた、ということが、記事を読んでいくとわかりました。

他クラブからの誘いがある中でもそれを断り、徳島に残り続ける。その信念の裏には、彼が持つ大きな夢がありました。

 

「彼は非常に器用で、中盤から前線まで、うまくプレーします。プレービジョンを持っていますから目立ちますし、出足が力強いことで、簡単に一つの局面から次の局面へ移ることができます。」

攻撃的なポジションなら、器用にこなしていた印象のある渡井選手。たしかに、追い込まれた、と思っても、うまく相手をかわしてフリーになる、というシーン、よく見ていましたね。

 

「マサキとは2年一緒にいましたが、常に、ヨーロッパへ行きたいという思いを持っている選手だと感じていました。育成年代ではプロクラブで過ごさず、学校出身でしたが、ヨーロッパで勝利したいという思いを強めながら過ごしていました」

 

若いころから、ずっとヨーロッパに行きたいという思いを持っていたようです。

 

「彼は、ヨーロッパでプレーしたいという思いとバルセロナへの情熱を混同してもっていると思います。彼にはバルサへの愛があり、私たちの会話が非常に盛り上がるのは、私がレアル・マドリーにいたことを彼が知っていたからでした」

 

バルサが大好きだったんですね。(知らなかったので、少しへ~と思いました)

バルサvsレアルということで、よく盛り上がっていたんでしょうか。どんなことで盛り上がっていたのか、話の中身を聞きたいところです。

いつか、また二人が再会したらどんな話をするのでしょうか。

 

「日本では、彼には素晴らしい未来が待っていました。私の日本での1年目の時には、J1リーグから移籍のオファーもきていました。しかし彼は、スペインサッカーの大ファンで、スペインの指導者がいるということで、チームにとどまり、ヨーロッパのサッカーを理解するためにもっと学びたいという意欲を見せてくれました。私たちのチームは小さなクラブですが、彼は残るということを決断しました」

 

ずっと心に決めていたんですね。かっこいい。彼が大切にしているものが、はっきりとわかるエピソードです。普通の選手なら、いい条件のクラブから誘いがあればすぐに行ってしまうところだと思いますが、彼には、彼の物差しがあり、それを曲げなかったということですね。そんな生き方に憧れます。

 

「彼はまだ若く、日本にはたくさんの経験豊かな選手がいます。彼はいつも、徳島を出たとして、J1リーグでプレーできるのかを疑っていました。ただただ試合に出るための移籍をしたいと考えていたのです」

 

試合に出ないと意味がないということで、悩んでいた様子。たしかにそうですよね。

 

「マサキの大きな挑戦は日本代表になることです。ヨーロッパで過ごすことで、その扉を開くことができます。彼はそれをわかっていますし、私は彼のポテンシャルは高いと思います。しかし、彼は競争というものをよく学ばなければなりません。よりフィジカルな中でプレーするでしょうから、チームのよりたくましいプレーに適応しなければならないですし、プレーするということについてさらによく理解しなければなりません。なぜならポルトガルリーグは戦術的に発展しているリーグだからです。そこを飛び越えれば、あとは彼自身の問題です」

 

ポルトガルリーグは、Jリーグと比べれば、フィジカルな部分も戦術的な部分もレベルが高いかもしれません。そこに適応できるか。彼なりの成功スタイルを見つけてほしい。彼以前にも、ポルトガルリーグの中盤選手として活躍した日本人選手はいます。

渡井選手にも、彼なりに輝けるスタイルというものがあるはず。それがつかめるといいですね。

 

 

「彼は臆病です。ただし話すことについて臆病であるということではありません。私は常に立場として彼の上にいようとしており、彼がミスをしたときには彼を試し、

考えてもらうために、意見を言っていました。彼は、いつも私が言ったことすべてを受け入れました。」

 

ここは、自分の意見を言うということをポヤトス監督は求めていたのかもしれません。たしかに、主張するということは必要でしょう。少しずつ、自分の意見を言えるようになればいいと思います。

ただし、逆に言うと、人の意見をしっかりと聞くことができる、というのは、彼の持つ長所なのかもしれません。しっかりと相手の意図を理解したうえで、自分はこう思うということを伝える。前の部分は渡井選手はすでに高いレベルでできているのではないでしょうか。あとは、語学力でしょう。大丈夫、渡井選手ならできるはず。

 

ボアヴィスタでのプレーは素晴らしい挑戦で、ポルトガルリーグは非常にレベルが高く、たくさんの素晴らしい選手がいて、サッカーのタイプも彼にとって非常に相性の良いものだと思います。彼にとっての成果が早く訪れるか、それともゆっくりになってしまうのかは、ボアヴィスタのプレースタイルによって大きく決まるでしょう。ボールをしっかり持つスタイルであれば、すぐに結果がついてくるでしょうし、よりダイレクトなスタイルで、特に後ろの部分で組織化されるスタイルであれば、適応しなければならない部分が大きくなります。マサキは非常に高い攻撃センスを持っていますし、主に攻撃することを好む性格です。すべての選手と同じように、彼もボアヴィスタの監督が要求してくることを満たしながら、彼自身が望んでいることも達成すべく、よりレベルアップしていかなければなりません」

 

これは確かにその通りでしょう。チーム戦術によって、輝く選手は違ってきます。彼が生きる戦術であれば万々歳ですが、もし仮にそうでなかった場合でも、あきらめずに模索すれば、何か生まれるはず。もがいて、何かを見つけてほしい。

 

以上が、ポヤトス監督の言葉でした。

渡井選手のことを大切に思っているということが伝わる記事でした。

いつか二人がスペインの地で選手vs監督として再会、なんてことがあったら面白いな~でもポヤトス監督徳島にもずっといてほしいな~なんて思いながら読んでいました。

こんな感じで渡井選手や日本人選手が現地記事に取り上げられる回数がたくさん増えるといいですね。

 

 

 

全国の渡井選手ファンにBIGニュースが舞い込んできました。DAZNポルトガルリーグ配信決定です!毎節1試合日本語実況+複数試合を英語配信とのこと。ポルトガルリーグは今年は小川諒也、川崎修平中村航輔、田川享介、中島翔哉、藤本寛也、新井瑞希、守田英正、小久保レオブライアン、邦本宜裕、そして渡井とめちゃくちゃ日本人選手がいます。

楽しみですね・・・。

 

また、何か取り上げたいことがでてきたら、更新しようと思います。

渡井選手、ボアヴィスタ加入正式決定!

ついに来ました!ポルトガル側の公式発表。

我らが渡井選手が、ポルトガルリーグ挑戦、正式決定です!

まだ海外で何か結果を残したわけではなく、これが彼にとって始まりだとしても・・・ファンとしてめちゃめちゃ嬉しい!いやーめでたい!!

 

日本でもおめでとう、応援してるぞ!メッセージが飛び交っていますが、ここでいったんボアヴィスタ公式はどのように渡井選手入団を発表したのかをまとめようと思います。

 

まずはクラブ公式HPでの第一報!

boavistafc.pt

 

■マサキ・ワタイがボアヴィスタを強くする

「マサキ・ワタイは最も直近のボアヴィスタの補強であり、ベッサ(ホームスタジアム)に、日本の徳島ヴォルティスから期限付き移籍で加入した。期限は2022/23シーズンの終了時までで、買取オプション付きである」

「日本の攻撃的な中盤の選手は、今日で23歳となったが、18歳の時、2018年からプロとして、徳島ヴォルティスでプレーしてきた。通算で129試合出場、14ゴール、13アシストを記録した」

「17歳以下の代表でもあったマサキ・ワタイは、2020年に日本の2部リーグの優勝も経験している」

 

 

ポルトガル語での選手紹介・・・ついに、「徳島の渡井理己」が「世界のマサキ・ワタイ」になりましたね!すげー---!

ポルトガル中に「マサキ・ワタイ」の名よ届け!

 

 

続いて、第2報。インタビューです。

boavistafc.pt

 

■マサキ・ワタイ「ボアヴィスタに所属することだけを望んでいた」

 

「23歳となる日に、マサキ・ワタイはボアヴィスタFCとの契約にサインをした。『自分にとって二重の意味で特別な瞬間だ。こんなに素晴らしい誕生日プレゼントはない』と話した。この攻撃的な中盤の選手は、『ポルトガルのビッグクラブの中のひとつ』でプレーする機会を得たことで、『幸せで、ワクワクしている』と感じており、『チームへの貢献』と『全力を尽くす』ことを誓った。

 

心境:『自分のキャリアにとって重要な一歩だと感じているし、ボアヴィスタに所属することを幸せに感じている。ポルトガルのビッグクラブの一つで、長い歴史があり、多くのことを達成してきたクラブに所属することになり、自分は正しい選択をしたと思っている。ボアヴィスタのために自分が何ができるかということについては、最高によいイメージを持っている。この機会に最高にワクワクしている』」

 

誕生日:『自分にとって二重の意味で特別な日だ。誕生日を迎えるとして、これほど素晴らしい誕生日プレゼントはない。ボアヴィスタとの契約にサインすることだけを望んでいた。ヨーロッパのサッカーの中で、自分の能力を試したいということを強く望んできた中、こんなに歴史のあるクラブに所属することになり特別な感情を抱いている』」

 

自身がどんな選手か:『ポルトガルのサッカーは非常に技術的だが、自分のプレースタイルに似ているサッカーであるため、問題なく適応できるのではないかと思っている。自分自身のことは、技術があり、素早く、シュートが得意で、1対1にも強い選手だと思っている。何よりも、チームには、たくさんのゴールとアシストで貢献したいと思っている』」

 

スタジアム:『エスタディオ・ド・ベッサは、とても素晴らしいスタジアムで、実際に見て非常に気に入ったし、ボアヴィスタのファンの前でデビューすることが楽しみだ。日本ですでに熱狂的な応援をしてもらってきたが、日本ではファンたちはピッチから遠いところで応援していた。ここ、エスタディオ・ド・ベッサは、より閉ざされている(ピッチと応援席が近い)ため、ファンと選手がより一体となることができる。プレーをしてその一体感を感じることが待ち遠しい』」

 

コミュニケーション:『プレーの面に加えて、コミュニケーションをよりよくする面にも集中していこうと思っている。(コミュニケーションが取れないことで)国やクラブへの適応が難しくなってしまうことを避けたい。ボアヴィスタで成功したいので、できるだけポルトガル語を習得し、英語も上達させたいと思っている』

 

 

かっこいいコメント・・・もうしっかり海外組の選手ですね。

ホームスタジアムが、客席と近い、ということを楽しみにしていることもわかりました・・・ゴールを決めて、サポーターのところに行き、もみくちゃにされる姿が早く見たいですね。

 

それから、ツイッターでも投稿がいくつかされていました。

 

「コンニチハ、マサキ・ワタイ!ボアヴィスタFCへようこそ」

 

 

「『ポルトガルのビッグクラブの一つで、長い歴史があり、多くのことを達成してきたクラブに所属することになり、自分は正しい選択をしたと思っている。この機会に最高にわくわくしている』

日本から来た新戦力が、早くもボアヴィスタで話します」

 

「『マサキ、今日が誕生日だ!プレゼントは何がいいんだろう?』

ボアヴィスタに所属することだけを望んでいたよ!』

まさに最高の誕生日だ!23歳おめでとう!」

 

ポルトガルでも変わらない笑顔・・・この笑顔をポルトガルで何度も見せてほしい!!!

海外に挑戦する日本人選手は数多くいましたが、ここまで本腰入れて、本気で追っかけたいなと思ったのはもしかすると渡井選手が初めてかもしれません。

僕みたいなファンがたくさんいます。徳島から、いや、日本中から、たくさんの人が応援しています。

まずは暮らしになれることからでしょうか。毎日やれることをやっていれば、結果は後からついてくるはず!渡井選手、応援し続けます。

 

明日はどんな情報が出てくるのでしょうか。楽しみです。

渡井選手移籍に思うこと

やる気が出ない。

せっかくの3連休だというのにやる気が出ない。

何も予定もなく、今パソコンに向かって文章を書いているけれど、これも思い付きで書いているだけで、特に決まった目的、ゴールはない。

それでも、もしかしたら後で振り返った時にこんな時もあったなと笑って振り返られる日が来るかもしれないから、と思って書いてみる。

 

気持ちが落ち込んでいる。

なぜか。

答えは簡単。仕事がうまくいっていないから。

自分のうまくいかなさ、ダメダメさに本当に嫌気がさす。

自分は本当は何がしたいのか。それもよくわからなくなってくる。

負のループに入っているなと感じる。

本当は何がしたいのか。これまで何度も何度も、かつ何時間も、考え続けてきた問題。それがはっきりしていれば、自信をもって言えれば、もう少し気持ちが楽になるのかもしれない。

 

ぼんやりと、なんとなくは見えている自分の夢。こんな暮らしがしたいという漠然とした思い。徐々に近づいていることは間違いないと思うんだけど、それでもまだまだ。

なかなか厳しい。

 

それでも、というかそんな中、渡井選手は夢をもって海外に出て行った。

遠く離れた場所で挑戦しようとしている青年。その存在が、全然うまくいってない、しかも渡井選手とは別に関係のない自分に勇気を与えてくれる。モチベーションになる。

 

渡井選手は、徳島での4年半、徳島を応援する身としては、大活躍だったと賞賛したいが、本人としては、プレッシャーも感じ、思うようにいかず、苦しむ時期、悩んでいた時期もあったはず。それでも、長い時間をかけて、夢に一歩近づいた。

 

自分も今うまくいっていないけど、そんな時期もあるよね。気持ちを楽に、ちょっとずつでも、一歩でも、理想に近づいていければ。

と思って、この後また、勉強するか。

いつか、渡井選手のように、笑って次のステップを踏めるように。

 

ボアヴィスタの情報も、発信していこう。ゆっくり。