徳島からBoa tarde

徳島ヴォルティス関連のこと。

ラバイン監督 2011年に語った夢

先日ラバイン監督のインタビューを訳したところ、徳島ヴォルティスファンの皆さんを中心に、読んでいただくことができました。


バスク語やっててよかった~と思ったわけですが、また別のラバイン監督インタビューを見つけました。

 

goiena.eus

 

2011年5月、彼が23歳の時の、バスクの地元紙「ゴイエナ」のインタビュー記事です。
スペインサッカー連盟で分析官としての仕事を終えた頃の彼は、どんなことを話していたのでしょうか。
せっかくなので今回も訳してみます。どうぞ。

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ベニャート・ラバイン「私の夢はエリートレベルでタイトルを獲得すること」

 

ベルガラ出身のベニャート・ラバインが荷物をまとめてサッカーのコーチになるためにマドリードへ出発してから6年が経った。その間、彼はスポーツに関する世界で2つのキャリアと2つのタイトルを獲得し、いくつかのサッカーチームでコーチとして働いてきた。

 

―なぜマドリードに引っ越したのですか。


17歳でマドリードに来ました。サッカーという夢があったためです。ここにはスペインサッカー連盟と協定を結ぶカミロ・ホセ・セラ大学がありますが、この大学はスポーツ科学および身体運動科学(INEF)を研究していたと同時にナショナルコーチの資格を得るための機会を与えてくれていました。それがマドリードに来た理由でした。

 

―そこでは何を勉強したのですか。


ここでまずINEFの学位、その後に体育教師の勉強をしました。さらに、国内の監督資格レベル3、すなわちスペインサッカー連盟で最も高いレベルのスポーツコーチになるための資格を取得しました。

 

―いつサッカーの監督になると決めたのですか?


小さい頃から、監督になりたいという情熱を持っていました。12歳のとき、私の兄弟がアランザディの学校のサッカーチームでプレイしていましたが、私はすでにベンチに座っていました。いつも監督になることが私の夢でした。ベルガラのサッカーチームで育成年代までプレーしていましたが、選手だった時も、いつもサッカーを理解することや物事の理由を理解することなどは、私がしなければならなかったことでした。実は、芝の上でプレイすることよりも監督になることの方が私にとってはいつでも魅力的なものだったんです。

 

―あなたはアトレティコ・マドリーカンテラのアレビンの監督、そしてフベニールのAチームのアシスタントコーチとして過ごしてきました。さらにフベニールの国内リーグでCP・パルラ・エスクエラの監督も務めました。それらの経験の中で、最もあなた自身が満足できるものは何ですか?そしてそれはなぜですか?


アトレティコ・マドリーカンテラで2年間働き、アレビンとインファンティルを担当しました。最初の年はヘタフェに勝ち優勝しましたが、実は、これまでで最も学ぶことが少なかった年でした。その後パルラ・エスクエラで働くチャンスがあり、9試合して4ポイントしかとれずクビになったのですが、それが最も学ぶことがあった経験でした。去年の3月にホセ・マリ・アモロルトゥから電話がかかってきて、フベニールのトップチームのコーチのオファーをもらいました。承諾して、そこでフラン・アルコイと一緒に働きました。アルコイは何年もカルタヘナの人々とプロの世界で何年も働いてきた人で、私にたくさんのことを教えてくれた人でした。素晴らしい経験をしました。

 

リバプールでラファ・ベニテスと一緒に過ごしたこともありました。そこでの経験はどうだったか、少し教えてください。


素晴らしかったです。共に学んでいた友達と一緒に2008年のプレシーズンにラファ・ベニテスがどのように仕事をしているのかを学びに行きました。ほぼ毎日メルウッドに練習を見に行きました。フィットネスコーチだったパコ・デ・ミゲルやトップチームの選手たちと一緒にランチもとりましたよ。ラファ・ベニテスもたまに立ち寄ってくれました。アンフィールドにも行って、親善試合やチャンピオンズリーグの予選の試合を見る機会もありました。あの夏は忘れられないです。

 

(メルウッド=Melwoodは、2020年までプレミアリーグリバプールがトレーニングの拠点として利用してきた施設の名前です)

 

―どうしてあなたたちはリバプールのチームの中にまで入っていくことができたのですか?


水曜日にリバプールに着いて、翌日の朝にメルウッドに行ったら、警備員に会いました。私たちが「ベニテスと話したいんです」と言うと、彼は「ダメだ。君たちは馬鹿だな」と言われました。金曜日の朝にもう一度行きましたが、その時はハムを持っていきました。同じ警備員に渡すと、「ベニテスと話ができるようにするからまた明日来い」と言われました。土曜日に3日間連続でリバプールの練習場に行くと、警備員が良いニュースを教えてくれました。「月曜日の朝8時に来い」と教えてくれたので、私たちはその通りにしました。ベニテスに自分たちは誰か、どこから来たか、何がしたいかを説明すると、彼は、メルウッドに優しく迎え入れてくれました。こうしてその翌月をコーチングスタッフたちや選手たちと一緒に過ごすことになったのです。

 

―最近までスペインサッカー連盟の分析チームで働いていましたが、やめる決断をしました。それはなぜでしょう。


やめる決断は簡単ではありませんでした。協会に入りフェルナンド・イエロと一緒に働きましたが、最初には想像することができなかったほど素晴らしい経験をすることができました。しかし人生はいくつかの場面で決断を下さなければならないものです。要するに、連盟内に私に直接影響を与える問題があり、それによって最終的には私はやめる決断をしたのです。しかし、監督、スポーツディレクター、分析チーム、フィジカルコーチ、ドクターなど、連盟で一緒に働いたすべての人に感謝をしたいと思っています。

 

―どんな夢を持っていますか。


私の夢はエリートレベルでタイトルを獲得することです。そのために仕事をしています。誰もが、自分の限界を超えたところに目標を設定して、そこからその目標を達成するために懸命に努力しなければならない、と私は考えています。夢のガイドであるのは、心でなくてはなりません。頭ではいけないのです。なぜなら結局、頭はいつも私たちに限界を設定してしまうからです。私はリアリストにはなりたくありません。より遠くへ行きたいと思う人間なのです。私はそんな風に夢を持っていて、いつか叶えたいと思っています。

 

―参考にしている監督は誰ですか。そしてそれはなぜですか。


これまで特定の人が私のアイドルになったことは、選手についても監督についてもありません。しかし、マヌエル・ペジェグリーニビジャレアルはプレースタイルが好きでした。また、ジョゼ・モウリーニョのチームも、ボールを失ったときやボールを取り返そうとするときに見せていた姿勢が好きでした。

 

―あなたの通常の1日の流れを教えてください。


この前までは、朝に起きたらラス・ロサスにあるスペインサッカー連盟のスポーツ施設に行っていました。昼までそこにいてビデオを見たりレポートを作ったりして過ごしていました。その後は家に戻って、昼食をとって、ビデオを編集したり、コンピュータで会議を見たりしていました。午後は地域の友達と集まって、夕食のために家に帰るまでスポーツをしていました。夜はベルガラの友達と話したり、本を読んだりしていました。今は、連盟に所属しておらず、どのチームも指導していないので、1日1日違いますし、毎日繰り返す具体的な流れのようなものはありません。

 

―週末はどんなことをしているのですか。


週末は、主にサッカーの試合を見ています。アトレティコ・マドリーの練習場が家の近くにあって、長い時間そこで過ごしています。それから、私の年齢の人がするように、友達と出かけて、スポーツなどいろいろなことをするときもありますよ。

 

―ベルガラでどんなことが起きていることは知っていますか。


もちろんです。毎日インターネットの記事を読んでいますし、ほぼ毎日両親や友達と話していますからね。

 

―今はどんなプロジェクトに参加しているのですか。


今はとにかく来年に向けて準備をしています。ミリンコ・パンティッチがアトレティコ・マドリーの財団と一緒に実施しているキャンプで指導をしています。

 

―コーチになることを夢見る人たちに伝えたいことはありますか。


正直なところ、私は、アドバイスを与えられるような人間ではないと思います。ただ、私の経験をもとにするなら、天職に就いて、この世界を好きになってほしいと伝えたいです。そして特に、夢を持つこと、なぜならそれは目標を達成するための最初の一歩だからです。その後は楽しんで、何事にも情熱を持ってほしいと伝えたいです。

 

―その他に話したいことはありますか。


私の両親に感謝の気持ちを伝えたいです。私にとってとても大切な人たちでしたし、彼らから受けたサポートが土台となり、私は生きてくることができました。それから、私の友人たちにも常にサポートしてくれたことに感謝したいです。特にミケル・オルベゴソとイニャキ・ムヒカには非常に感謝しています。最後に、私を指導してくれたすべての先生たち、私が指導した選手たち、そして一緒に仕事をしたコーチたちに感謝を伝えたいです。

 

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インタビューは以上です。

 

途中で出てきた、「夢のガイドは心でなくてはならない。頭ではダメ」という話が心に残りました。
頭でいろいろ考えすぎて、小さくまとまってしまうのではなく、自分がどうしたいか、という心を大切にして、思い切ったことをすることが大事だということでしょう。彼が新体制発表会で語った、「REBELDES(反逆者であれ)」に通ずる話なのかもしれません。

 

さて、このインタビューの最後に、おまけとして「~といえば?」のような一問一答があったので載せておきます。

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本→最後の授業(ランディ・パウシュ
映画→グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち
音楽グループ→3ドアーズ・ダウン
好きな場所→ノハのホエルビーチ
住んでいる場所→マハダオンダ(マドリード
サッカー選手→ジネディーヌ・ジダン
サッカースタジアム→サンティアゴ・ベルナベウ
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「最後の授業」という本は、少し調べたところなかなか熱い内容が書かれているようで、読んでみたいと思いました。彼の大切にしている価値観がより深くわかるかもしれません。


2月19日に迎える徳島ヴォルティス開幕戦。おそらく23歳時点では全く想像していなかった場所で、彼の監督人生が始まります。
自分の夢に向かって努力を積み重ねてきた青年は、どんな姿を見せてくれるのでしょうか。